ベートーヴェン生誕250周年記念モデル
今も世界に愛される巨匠の250回目の誕生日を祝って…
ハイドンにより受け継がれたモーツァルトのスピリット
ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン ( 1770 - 1827 )は1770年にドイツのボンに生まれました。1787年、17歳の時に初めてウィーンを訪れ、元々は
モーツァルトに師事するつもりでいましたが、間もなく母親が病に伏したため故郷へ戻ることを余儀なくされました。そしてモーツァルトの死後1792年にようやく再びウィーンに戻り、ヨーゼフ・ハイドンの元で学び始めます。ベートーヴェンの旅立ちに際し、彼のパトロンであったフェルディナンド・フォン・ワルトシュタインは次のように手紙を残しています。
親愛なるベートーヴェン!
長きにわたって叶わなかった望みを実現するために、
君はヴィーンへ旅立とうとしている。
モーツァルトの守護神はいまだその護り子の死を悼み、涙している。
汲めども尽くせぬハイドンのもとに、守護神は避難所を見いだしたが、
そこは働きの場とはならなかった。
彼を通して、さらに別の人間と結び合いたいと望んでいるのだ。
たゆまぬ精進によって受けたまえ、ハイドンの手からモーツァルトの精神を。
―君の真実の友ワルトシュタインより。
ボンにて、1792年10月
フェルディナンド・フォン・ワルトシュタイン
訳:沼口隆
ウィーンで後半生を過ごしたベートーヴェン
ベートーヴェンは1827年にその生涯を終えるまで、約35年間をウィーンで過ごしました。彼の不朽の名作のうちほとんどはウィーンで作曲され、ウィーンがヨーロッパにおける”音楽の中心”として地位を築いていく中で彼は多大な貢献を果たしました。
イグナッツ・ベーゼンドルファーは、ベートーヴェンの死の翌年である1828年にピアノ工房をスタートさせました。イグナッツの音に対するアイディアは、基本的にウィーンの文化や環境的な要素に象られたものでありましたが、後にはベートーヴェンからインスピレーションを得て、深く影響を受けることになりました。そうしたピアノ作りから、これまで多くのアーティストがベートーヴェンの作品を演奏する際にベーゼンドルファーピアノを選び演奏してきました。イグナッツのピアノ作りに、ベートーヴェンのスピリットが眠っているからだ、と人々は信じてやみません。
また、ベーゼンドルファー社は創業以来、現在に至るまで、アーティストの声に耳を傾けるピアノ作りの姿勢を変えることはありません。”第14回ベートーヴェン国際ピアノコンクール”が開催され、さらにベーゼンドルファー社 が創業185周年を迎えた2013年から、ベーゼンドルファー社はこの新しいベートーヴェンモデルの構想を練り始めました。この度2020年新しいベートーヴェンモデルを発表することで、偉大なる作曲家ベートーヴェンの250回目の誕生日を盛大に祝うとともに、歴史あるピアノメーカーとして大変な栄誉を感じています。
月光ソナタ
ドイツ・ボンにあるベートーヴェン・ハウスの協力を得て、ベーゼンドルファー社はベートーヴェンの『ピアノ・ソナタ第14番「月光」 Op.27-2 嬰ハ短調』の最終章〈プレスト・アジタート〉の自筆譜をピアノのデザインに使用しました。
このソナタはロマン派音楽の先駆けとも言われており、日本においても最も演奏される機会の多いベートーヴェンのソナタの1つとも言えるかもしれません。
この新しいベートーヴェン生誕250周年記念モデルでは、”月光ソナタ”の自筆譜を高精度なシルクスクリーン印刷技術を使ってピアノの天板の内側に施しています。
また、真珠貝でデザインされたベートーヴェンの肖像が譜面台に施され、”Bösendorfer”の文字には光り輝くマザー・オブ・パール(真珠貝)が使用されています。
音楽はあらゆる知恵や哲学よりも高度な啓示である。
ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン
( 1770 - 1827 )
彼のこの名言が、譜面台の右側部分に真珠貝の装飾で美しく施されています。ベートーヴェンモデルは全世界15台限定で、その1台1台の拍子木の左側には特別なオーパスナンバーが記されています。
ベートーヴェン250歳のお誕生日おめでとう!
今もなお、あなたは世界に愛されています。
モデルの特長